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福聚会について

福聚会の歩み(20周年記念誌より)

宅老所「無量荘」
挨拶でも触れたとおり素人4人で始まった「宅老所・無量荘」は、最初ご利用者がおらず、チラシを作ってポスティングして歩く毎日でした。最初に市役所から紹介されたのは、女性の認知症高齢者でした。その方は、一回ご利用になって、しばらく利用はありませんでした。次に紹介された方は、???? 分とじっとしていられず、外に出て行ってしまう方でした。今考えると妄想もかなりあったようにおもわれます。認知症の何たるかもわからず、毎日手探りの対応でした。送迎車も無く私の自家用車での送り迎え、退屈すると毎日ドライブ、狭い部屋はカラオケを歌っているソファーの後ろで、昼寝をされている方が居る状態で、快適とは程遠い環境でした。必要に迫られ皆で交代で資格取得、研修への参加や、助成金の申請をし、送迎車購入、部屋の増築を行ったのもこの頃でした。ご利用者も少しずつ増え、「当たり前で自然なサービス」を提供して行こうと、職員の意識も向上して行きました。まだ少人数で、小回りもきき、自由に食事に行ったり、花見、紅葉狩りなど、ご利用者とともに楽しい毎日を過ごすことのできた時期でもありました。地元の板荷中学校から定期的にボランティアを行いたいとの申し入れを戴いたのもこの頃で、その活動は今日まで続いています。


【デイサービスセンター無量荘】
県の「高齢者デイホーム事業」に参加し、宅老所を開設したグループが当時県内に20 箇所近くあり、そのグループが集まり「栃木県デイホーム連絡会」を組織していました。わからないことだらけの我々は早速連絡会に参加しました。そのころ話題に上っていたのが、「介護保険」と「特定非営利活動促進法」でした。来るべき超高齢社会を支える仕組みとして、「介護保険」が導入されることになったのです。栃木県では、介護保険が始まったら「デイホーム事業」は廃止して、小規模事業所には、法人格をとって介護保険事業所に移行するように指導していました。介護保険事業所の運営には法人格が必要で、有限会社や株式会社を選択するグループと施行間もない「特定非営利活動促進法」による法人=NPO法人を選択するグループに分かれました。私たちはもとより収益を上げることを目的にしておりませんでしたから、当然NPO法人を目指したのですが、どこの窓口に行ってもNPO法人を知っている方がいなくて、そのつど説明して納得してもらう必要がありました。法人申請に行ったら、他にだれもいなくて拍子抜けした記憶があります。まだ、NPO 法人について周知されておらず、私たちの団体が栃木県NPO法人の第一号でした。法人格をとり、介護保険導入前に高齢者デイサービス事業に参入し、介護保険導入と同時に居宅介護支援事業所を併設いたしました。制度の縛りは厳しくなりましたが、経営的には収支が安定し、より専門性の高い介護を目指すことが可能となりました。食堂、入浴施設を増築し、職員も増員され、介護の質もどんどん上がって、職員の一人ひとりが自分の理想の介護、理想の福祉をかたり、実現しようとがんばっていた時代でもあります。アイコンタクトも無く、流れるように介護サービスが提供でき、デイサービスで、ここまでの仕事ができるのだと、目を見張ることも多々ありました。


【居宅介護支援事業所無量荘】
要介護者やその家族を介護の専門化(プロ)に繋ぐ仕事である介護支援事業所(ケアマネジャー)いつまでも住み慣れた地域で生活を続ける為には非常に重要な役割であります。開設当初1 人の介護支援専門員であったが、現在(令和3年1月)では?4人体制で支援にあたっております。居宅介護支援事業所無量荘の特色として利用者ファーストをかかげ、担当者の急なニーズにも即対応できるように職員個人に携帯電話を支給しております。開設から比べて、ご利用者、ご家族のニーズも少しずつ変化しております。又、介護保険制度も改正を重ね学ぶべきことも多くなっております。2025 年に向けて、団塊の世代の方々が後期高齢者となり、多くの方が介護を必要とする時代になります。そして、その大半が在宅(自宅)を中心に生活をされてゆくでしょう。まさしく、今後求められる在宅介護、医療や地域との連携において資質の向上は元より、介護支援専門員がプランニングだけでなく、その人を中心としたインフォーマルサービスの開発や仕組みづくりも早急な課題となっております。


【グループホーム無量荘】
通所のサービスを提供していて、ご家族、ご利用者から、泊まりの施設を作ってほしいとの要望が多くなってきたのが、通所を始めて5年くらいたったころでしょうか。中には土地を寄付するから施設を立てて欲しいと言う方まで現れました。何とかそのご要望に答えようとグループホーム応援団」を立ち上げ、宇都宮大学の陣内雄次先生のご協力を得て、施設の有様、地域福祉の姿、理想の介護などを毎月のように話し合い施設作りを進めて行きました。映画、シンポジウム、講演会などを開催し、集まった方々に「グループホーム応援団」への参加を促し、一緒に地域福祉を考えました。当時のキャッチコピーは、「あなたは地域にどんな施設があったら安心して歳をとれますか?」でした。「グループホーム無量荘」完成までに4年半かかり、認知症高齢者の専門施設なのに、廊下に手すりが無かったり、全個室にトイレ、洗面所、内鍵、吐き出しのサッシで24 時間いつでも外に出られるなど、他に無い施設が出来上がりました。当然職員のモチベーションも高く、「グループホーム応援団」を中心としたボランティアの方の出入りも活発でした。より完成度の高い施設をめざし、鬼気迫る職場がそこにはあり、理想の求めすぎから、燃え尽き症候群に陥る職員が出るほどでした。私自身も、何日も寝ずに働いて、今から思えば大きな事故が起きなくてよかったと思うほどでした。働き方の問題を検討せざるを得ない状況で、多くの有能な職員が施設を辞めていった時期でもありました。


【デイサービスセンター和久井亭】
デイサービスは地域の資源。地域の方々がふらっと立ち寄れ、地域の居場所でありたいと願い「空き家」だった一軒家をそのまま活用させて頂いた。一言で地域との協働といっても事業の安定と地域理解の増進との同時進行は困難を極め開設後、2年弱は際立った動きは取れなかった。通所事業所の増加の背景もあり、いよいよ和久井亭の事業継続が厳しさを増してきた。それを救ってくれたのが「地域」であった。地域方々に和久井亭の目指す理念を伝え、「地域サポーター」としてご支援いただいた事がきっかけとなった。人が人を呼び、支えてくださる人と情報が集まり、少しずつ地域とデイサービスとの協働がはじまっていった。又、「グループホームを市民の手で」と始まったグループホーム応援団がグループホーム無量荘の設立を後押しし、その後「住まい方、暮らし方研究会」に変わり、千渡地区の将来のビジョンを考える勉強会は和久井亭の地域へのアクションプランを考える羅針盤になった。鹿沼市内にあるNPO団体とも互いの「出来ること」「必要としている事」をマッチングし、若者、障がい者の就労支援や居場所、引きこもり支援、アンテナショップ設立に至っている。和久井亭の通所介護においては、「役割」を持って頂く事を活動理念とし、畑作や収穫物の袋詰め、綿の種取り、調理、配膳、食器洗いなど、本人の出来る能力を最大限に活かし自分らしく過ごして頂く事が介護予防、生き甲斐の構築に繋がっている。地域との繋がりが強くなってゆくと、地域の「困り事」の相談を受けるようになり、移動販売(H28.7NHK 放送)、買い物サロン、引きこもりや障がい者の居場所(活きいきこっとん村任意団体)、地域サロン(せんどより道任意団体)の設立に至る。地域のニーズはそこに住む住民の数だけ存在し、絶えず変化するものである。国(厚生労働省)も示しているとおり、今後の超高齢社会を乗り切る鍵は「地域」であり、和久井亭は支えあいの仕組みづくりを地域住民と共に考え、柔軟に行動できるような居場所を目指したい。


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